CMJKの東京サイバーパンク回顧録 その① 新宿歌舞伎町
ミュージシャン・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・DJ
CMJK
前編( https://tta-keikaku.jp/magazine/425/ )でも書いた通り21歳の頃ぼくは
神保町のレンタルレコード/CD店「ジャニス」でアルバイトを始めた。
当時はポータブルCDプレイヤー全盛期で、誰しもが電車の中で或いは歩きながら有線イヤフォンでCDを聴いていた時代だった。
カーステレオには12連CDチェンジャーなどという仰々しいものが積まれとにかくCDは生活に欠かせないものだった。
ジャニスは気が遠くなるほどの膨大な在庫数と都内随一のマニアックな品揃えを誇る有名店で、
後に有名になるミュージシャンの多くが常連だった他、惜しまれながら終了してしまった人気テレビ番組
「タモリ倶楽部」の人気コーナー「空耳アワー」で使用されていた音源のほぼ全てがジャニスで調達されたものでもあった。
ぼくは今まで聴いてきたロック〜ニューウェーブを担当したかったが、ぼくにバイトを紹介してくれたギタリストくんが
既にそのポストを勤めていて前任が辞めてしまったということでぼくはブラックミュージックを担当することとなった。
お客さんに何を聞かれても答えられるよう新旧問わずR&B、ファンク、ディスコを聴きまくり
ブラックミュージックに関する文献を読みまくり必死に勉強した。
そうこうしているうちに当時大全盛だったユーロビートの裏でヒップホップやハウスミュージックが突如として爆発的に発生した。
ぼくは公私共に夢中になり襟の大きいニューウェーブな服やおでこ靴(笑)と呼ばれたニューウェーブな革靴を捨て
ジャージを着てスニーカーを履いて金色やアフリカの形のペンダントを身につけてディスコではなくクラブに通うようになった。
時代の、人生の大変革である。
現在は作曲/編曲を主な仕事としているぼくですが、仕事をする上でアイデアに困ったことは1度もありません。
アイデアは売るほどあります。なぜならジャニスでダンスミュージックの歴史を叩き込まれただけでなく
店内で流れるロックはもちろんクラシック、ジャズ、現代音楽、ノイズミュージック、ワールドミュージック等を毎日浴びるように聴き、
幅広い音楽性を身につけることが出来たからです。ジャニスはぼくにとって大学でした。そして神保町は青春の街でした。
現在ジャニスは焼肉屋さんになっています
神保町は半ちゃんラーメン発祥の地でもあります
神保町はレトロ喫茶の街でもあります
Profile
CMJK
1967 年 8 月 21 日 宮城県仙台市出身
ミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、DJ。
1991 年に電気グルーヴのメンバーとしてデビュー。
その後 Cutemen、CONFUSION といったユニットで活躍し、1990 年代の日本のテクノ、クラブシーン黎明期の礎の一翼を担った。さらに浜崎あゆみ、DREAMS COME TRUE、SMAP、Kis-My-Ft2、V6、私立恵比寿中学、アンジュルム、Juice=Juice、など多数のアーティストのサウンドプロデュースを手がける。
2016 年にはファッションブランド「BEAMS」創業 40 周年を記念したプロジェクトとして、40年間の東京のカルチャーをファションと音楽という2つの視点から振り返るミュージックビデオ「TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)」のサウンドデザインと編曲を担当し、2017 57th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSにてゴールドを受賞した。
そのほか映画、ドラマ、アニメ、CM 音楽、ファッションショーの音楽の制作等々、多岐にわたって活動中。
ミュージシャン・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・DJ
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