平和なんてそこら中に転がっているよ

作家

石津 昌嗣 / イシズマサシ

Peace is lying around everywhere

 アメリカではじまった旅は、いくつかの国境を超え、三年かかってふりだしのアメリカに戻ってきていた。それだけふらふらしていれば、いろいろな目に遭うというもの。とりわけ暴動騒ぎにはよく巻き込まれた。そんなものとは無縁な旅でありたかったし、避けていたはずなのに、なぜかあちらの方からやってくる。ロス、チベット、インド、アフガン…。おんぼろ宿の配管むきだしの天井を見上げていると、戦場での記憶が鮮明によみがえってくる。頭痛がはじまる前に外の空気を吸ってこようと思う。

 ここマンハッタンの安宿の正面ゲートには管理人のジェイがいて、常に不審者をチェックしてくれていた。 アイリッシュ系で六十代男性、すり傷だらけのアクリル版の向こうの狭い小部屋でいつも雑誌を読んでいた。まるで銭湯の番台おやじだが、眼光は鋭く、目が合うときなど心の中まで見透かされているように思うことがある。そんなときジェイは法廷の裁判官であり、地獄で罪人を裁く閻魔様であった。今ではすっかり顔なじみだが、とにかく無愛想で、ここに来てから彼の笑顔を見たことは一度もなかった。

 その日はハーレムまで行き、ブロードウェイを歩いて南下した。いつもと同じ殺伐とした街の喧騒に安堵しながらミッドタウンまでやってきた。そこで、おかしな光景に出くわす。きちんとした身なりの初老の男性が、路上に散らばったビラのひとつに心奪われ、微動だにせず読みふけっていたのだ。その立ち姿は、なんとも キュートで、まさにジョークを語るスタンダップ・コメディアンそのもの。容姿もどことなくウッディ・アレンに似ている。色のなかったモノクロームな世界が急に色づきはじめた。バッグに押し込んでいた写真機を取り出し、おもむろにシャッターを切る。私もまた路上に落ちていたおかしな被写体に心奪われ、立ちすくんでいるようだ。

 「平和なんてこの世にないかもしれないが、平和を感じる瞬間はたしかにある」 それから写真機を抱えて歩きまわった。煙草屋のおやじと世間話をし、ベンチで身寄りのない老婆とおしゃべりをして、路上の賭場で騒ぐ不良たちと談笑する。足取りは軽く、いつもより多めにシャッターを切ったように思う。
 宿に戻ってきたのは夜の深い時間だった。ドアの鍵を解除してくれたジェイが、めずらしく声をかけてきた。
「お、なんかいいことあった顔してるね」 別人かと思うくらいの笑顔だ。
「うん、いっぱいあったよ」
 平和は、そこらじゅうに転がっている。

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Profile

石津 昌嗣 / イシズマサシ

作家 /1963 年広島生まれ
武蔵野美術大学卒業後、グラフィックデザイナーを経て、渡米。そのまま、三年間海外を放浪する。旅の途中でダライ・ラマ氏を撮影(写真家としてはじめてのポートレイト)。帰国後、写真と執筆業に携わる。現在も “平和的瞬間” をテーマに作品を作りつづけている。

【著書】
写真集『月とキャベツ』(ぶんか社) / 小説集『モメント イン ピース』(リトルモア) / 写真集『道草者 -moment in peace』 (求龍堂) / 絵本『どうして そんなに ないてるの?』(えほんの杜) / 絵本『あっちがわ』(岩崎書店) ほか、多数。最新刊に、絵本『ぼくはダンサー』(岩崎書店) がある。

MASASHI ISHIZU
Artist/Born 1963 in Hiroshima, Japan.
Graduated from Musashino Art University.
After Drifting all over the world for three years.
started photographing, writing and drawing.
Theme is “A moment in peace”

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