はじまりはバレエ / 富田翔子さん
エヌ
コンゴ民主共和国の儀式用スプーン
アフリカの旅の中でも、コンゴ河の旅はとりわけハードルが高い。熱帯雨林におおわれた過酷な自然環境にくわえて、政治状況は不安定。宿泊や公的な交通手段もあとにならない。それでもアフリカ中央部の熱帯雨林を流れる大河は、多くの旅行者を魅了してきた。
この河を、ぼくは二度にわたって旅した。一度目は1991年。冷戦終結からまもない頃で、世界各地で民主化の動きが起こりつつあった。インターネットも携帯もなかったけれど、これから世界はもっと自由になるのではとナイーブに信じられた時代だった。
二度目の旅はそれから21年後の2012年。前回の旅の後、コンゴは長い紛争に突入し、数百万の人びとが犠牲になった。インターネットと携帯が世界中に広がり、9.11が起き、イスラム武装勢力が台頭し、アラブの春が起こり、シリアから大量の難民が流出し、中国が大きく台頭し、資本や労働力のグローバル化とともに危険や暴力もまた地球規模で拡大していた。
いずれの旅でも丸木舟を漕いで何十日かかけて川を下った。どちらも過酷すぎて、まるで冗談のような旅だったが、21年の間に過酷さの種類が変わった。
最初の旅は不便なことだらけで肉体的にはたいへんだったけれど、どこかのんきだった。二度目の旅ではいろいろ便利になったけれど、精神的なストレスが大きかった。それはもしかしたら世界の変化とリンクしているのかもしれない。それがどういうことなのかは、拙著『たまたまザイール、またコンゴ』(偕成社)に書いた。
首都のキンシャサのマーケットで一対の像を見つけた。男女の姿をかたどっているが、聞けば儀式で使われるスプーンだという。なるほど、顔の部分がスプーンのようにへこんでいる。なんてユニークな造形だろう!
それを手にしてふと思った。そうか、ぼくたちはスプーンのようなものなのかもしれない。いろんなものをすくいとって世界を味わいながら生きていく。甘いものだったり、苦いものだったり、酸っぱいものだったり、辛いものだったり、さまざまな味わいをとおして、世界の奥深さにふれる。 コンゴ河の旅のさなか、苦いものをたくさんすくった。それをたっぷり味わって、苦さもまた世界の奥深さだと知った。苦さのあとは、なにを口にしても甘く感じられることも知った。
いま、あなたというスプーンが、人生からすくい取っているものはなんだろう。
コンゴ河は海のように広い。約1ヶ月間、ひたすら漕いだ(1度目の旅 1991年)
丸木舟でコンゴ河を下る。治安の悪化のため、途中から大きな船などに乗り換えた(2度目の旅 2012)
コンゴ河は巨大なナマズの宝庫
コンゴ河の夕暮れ
村に着くと子どもたちが総出で迎えてくれる
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『たまたまザイール、またコンゴ』
『旅立つには最高の日』
Profile
田中真知
エジプトに10年近く暮らし、アフリカ、中東、アジアをめぐる旅行記を執筆。
『たまたまザイール、またコンゴ』『旅立つには最高の日』『風をとおすレッスン』など著書多数。