父との最後の旅はクロアチア、そしてボスニア・ヘルツェゴヴィナで

舞踊ジャーナリスト、翻訳家

森 菜穂美

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの銅細工


 父の仕事の関係で5歳から10歳まで英国に住んでいた時、ヨーロッパの様々な国への旅に連れて行ってもらった。小さかったので全部を覚えているわけではなく、当時の思い出の品も今はない。だが旅でいろんな国を見て得られた刺激、沸き起こった好奇心は今につながっている。様々なバレエ公演を観るために、大人になってから世界中の国々を訪れて、パフォーマンスを観るだけでなく、その国の美術館、城、街、人々に触れて楽しい時を過ごしてきた。
 ある時、75歳になった父が一緒に旅行に行きたいと言ってきた。会社人間で気難しい父とはさほど普段話もしておらず、実家に帰っても共通の話題も趣味もなかった。父がどうしてもクロアチアに行きたい、旅費は出すというのでツアーに申し込み、2週間のクロアチアを中心とした周遊の旅に出ることになった。
 添乗員が同行するツアーは久しぶりで、ツアーならではの、一人ではなかなか行けない場所に旅することができた。普段一緒に暮らしていなくてやや疎遠だった父とは相変わらず話もすれ違い気味だったが、美しい自然や歴史的な遺産を巡る旅は楽しかった。プリトヴィッツェ湖群国立公園という、滝と湖が織りなす幻想的な公園の絶景はとりわけ心に残った。流れ落ちる滝を見て父が「観音様のようだね」と述べた感性が素敵だと感じた。
 クロアチアと接するボスニア・ヘルツェゴヴィナは、イスラム教とキリスト教が併存する場所であり、ボスニア紛争の爪痕がいまだに残る地だ。モスクが多いモスタルの美しい造形の橋のたもとでは、激しい戦闘が繰り広げられた映像を見て衝撃を受けて父と話をした。エキゾチックなマーケットには色とりどりの商品が並べられており、人懐こい笑顔の職人さんが作った銅細工を買い求めた。サラエボではかつてのオリンピックの会場が集団墓地となっていたが、ガイドのサッカー好きの青年は「キャプテン翼」を愛読していると嬉しそうに語っていた。景勝地として知られるドヴォロヴニクもまた、歴史的な建造物や城塞の壮麗さの中にも戦争の傷跡を感じた。父と子が旅する映画「ネブラスカ」を思わせる、珍道中のような旅だったが、様々なことを考え感じられた。
 帰国して間もなく、父は突然倒れて、意識を取り戻さないまま帰らぬ人となったが、棺には土産に買ったクロアチアの国旗柄のキャップを入れた。もっといろいろ父とは話したかったが、最後に二人で旅ができてよかったとしみじみ思う。

Profile

森 菜穂美

早稲田大学法学部卒業。10歳までロンドンで育つ。企業広報、PR会社、映画配給/宣伝、リサーチャーなどを経て、新聞、雑誌、Webサイト、公演プログラムなどにダンスの記事を寄稿。映像の字幕翻訳/監修も。監修した書籍に「バレエ語辞典」(成文堂新光社)「バレエ大図鑑」(河出書房新社)。

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