
HITORI TPD WEBマガジンvol.1『まちゃことTPDとワタシ』
HITORI TPD
新井雅
1990年代の東京パフォーマンスドールとしての活動後、2018年からひとりTPDメンバーとして活動を再開された川村知砂さん。今だからこそ聞ける質問10を投げかけてみました。
●メンバーとはかなり久々の再開となりましたがメンバーの印象は?
「雅子は元気いっぱいな子、史ちゃんはもうその頃から大人な感じで雅ちゃんは凄く慕ってくれて可愛い妹みたいな感じだったかな!新井家にもお邪魔する機会もあり『この両親にこの子あり』って感じでご両親もとっても気さくで品があって雅ちゃんのお母さんにはチケットもなかなか取れない宝塚歌劇団の舞台を観に連れて行ってもらって感動したのを覚えています。
30年余りが経ち再会して元気いっぱいの雅子は大人になっても変わらず元気いっぱいで、史ちゃんはもっと大人になってて雅ちゃんも変わらず可愛い妹のままでした。
愛ちゃん、あっこ、理恵ちゃんビシの4人とはほとんど関りを持てなかったのであまり覚えていないのですが、当時あっこはショートカットで背格好もかなちゃんに似たような子がいるなって印象を思い出しました。
今はみんなと一緒にいてとっても楽しくてバカ話で盛り上がる時間が最高です(笑)。」
●当時は数多くのステージに出演されていましたが、自分にとってのベストライブは?
「【Shadow Dancer】をやった、厚生年金だったかな?中学卒業後に上京して何が何だかわからないままTPDの活動が始まって、周りは大人ばっかりで休む間もなくいっぱいいっぱいだったんだと思うんだけど、Liveに出たくなくて本番直前に『辞めるー!!』てダダこねて、開場もしてる中ギリギリまでトイレに閉じ籠ってスタッフやメンバーみなさんにとっても迷惑をかけた事がありました。関島さんにも頼むから出て来てくれってかなり説得されて『じゃあこのステージが終わったら辞めさせて下さい』ってお願いして、自分ではこれが最後のステージだと思って出たライブだったかな。大人に丸め込まれて結局辞めさせてもらえませんでしたが(笑)。」
●ステージ中のハプニングはありますか?
「一番印象に残っているのは初期のルイードで、当時ド近眼だったのにコンタクトなしでLiveに出た時、暗転になってはける時に足元にあったブラックライトを蹴飛ばして割った事があり…その後なっちゃんと一緒にコンタクトを作りに行った覚えがあります。『お前これ高いんだぞーっ』て言われました(苦笑)。」
●1番好きな演出は?
「これは選びきれない!初期のルイードはやらされてる感しかなかったから置いといて(笑)、ルイード以外のライブはどれも素晴らしいと思います。
当時はそこまで思わなかったけど振り返ってみると中村龍史は凄い人なんだと改めて感じますね。
ステージでオーディションやってみたり犬出してみたりローラースケート履いてみたりと本当よくあんな演出が思い付くな~って。どれも好きでしたね!
【CYBER DOLLS】でやったロボットの演出は上位に来るくらい自分の中でも好きですね。」
●当時の活動が終了した時の率直な気持ちは?
「その当時、自分の中で東京に残るという選択肢はなくて上京してからずっと走り続けて来た感じだったから、丁度リセット出来るのかなぁって思ったし休憩したかったんだと思う。
メンバーに会えなくなる感じもなくて名古屋だしすぐ会えるって感覚だったから。でも離れてみてすぐ会えると思ってもなかなか都合良くはいかないものだなと名古屋に戻ってしばらくして寂しく感じた時期はありました。」
●TPDで活動していなかったらやりたかった職業は?
「小さい頃から芸能界に入る事しか考えてなかったかも(笑)。逆に歳を重ねて今思う事は赤ちゃんとか小さい子どもが大好きだからもし次に生まれ変わって出来るなら助産師さんとか保育士さんとか子どもに携わる仕事がしたいなと思います。」
●当時のインタビューでは御法度だった(?)好きなタイプは?
竹野内豊は容姿も声も何もかも全部が好き~!
と言っても90年代の大ヒットドラマに出ていた頃は全く興味もなかったけど…
その後くらいからかな?いいなぁ~と思ってきた時に涼子ちゃんが共演するって聞いて観た映画が「冷静と情熱のあいだ」でそこからどハマりで今に至ってます♥
その映画を観た感想はただただ涼子ちゃん羨ましいなぁ~、でした(笑)。」
●1番感動した事は?
映画、ドラマ、Liveや結婚式、入学式や卒業式その他諸々、沢山の感動をもらったけど娘の保育園の卒園式が1番かなぁ…
昔はあまり喋らないイメージの私が今はこんなに喋り過ぎるくらい喋るようになった自分に変えてくれた3年間でもあったから、自分の事と娘の成長と色々と込み上げて来て入場の時から最後まで私1人だけ号泣してて、帰りに娘にも娘の友だちにも『1人でずっと泣いてたね~』て笑われた事を思い出します(笑)。」
●これから挑戦してみたい事、やりたい事は?
「いつもバタバタなリハと本番でしかメンバーとも会えないし、みんな離れて暮らしてるのもあってゆっくり話をする機会もないから、強いて言うならメンバーみんなで近場の温泉にでもゆっくり旅行に行きたいかな!この歳になると少し無理すると体のあちこちが痛くなるばかりだしね(笑)。」
●雅子ちゃんと最初にライブした時と今との気持ちの変化は?
「気持ちに変化は特に何もないかな!最初ゲストで何曲か歌って~から始まって、コロナ禍で会えない日々もあったけど、ひとりTPDに対する雅子の気持ちが全くブレない事が凄いと思う。その気持ちがなきゃ10年も続けられないよね…。それどころか益々気持ちが強くなってくのが凄く伝わってくるし、メンバーも増えて雅子のひとりTPDへの想いに足を引っ張っぱらないように付いて行って、これからも出来る限りのサポートをして行きたいなと思います。
雅子、史ちゃん、雅ちゃん、あっこ、愛ちゃん、理恵ちゃん、ビシ、このメンバーで今この歳になって再会してLiveが出来る事は凄く楽しくて幸せで最高な事だと思ってます。
みんな大好きだよー♡♡♡。」
Profile
川村知砂
1990年東京パフォーマンスドールメンバーとしてデビュー。
フロントメンバーとしての活動のほか、グループ内で「ゴルビーズ(GOLBIES)」、「原宿ジェンヌ」としても活動。
1990年、原宿RUIDOでのLiveに始まり、1993年には日本武道館、1994年には横浜アリーナでのLiveなど多数出演。
TV、CM、ラジオ出演など多方面で活躍。2023年には売野雅勇40周年コンサートに出演。
2018年に中川雅子【ひとりTPD】Liveにゲスト参加し、現在中川雅子プロデュース「ひとりTPD」メンバーとしてLiveに参加、活動中。
・主な出演
テレビ番組
薔薇薔薇(1990年- 1991年フジテレビ)
CYBER MEME(サイバーミーム)(1991年-1992年TVK)
HYU2(ヒューヒュー)(1992年 - 1993年日本テレビ)
摩訶不思議 ダウンタウンの…!?(1993年、ABC)
など
CM
メガネスーパー(1991年 - 1992年)
江崎グリコ「プリッツ」(1992年 - 1993年)
不二家「LOOKチョコレート」(1993年)
・ディスコグラフィー
1991年 WAKE ME UP!!/WEEKEND PARADISE
1992年 夢を/ストレート・アヘッド
1992年 放課後はいつもパーティー/Tokyo Romance
1992年 CATCH!!/OVERNIGHT SUCCESS
1992年 十代に罪はない/Saturday Night Fantasy
1993年 キスは少年を浪費する/SLASH DANCE
1993年 ダイヤモンドは傷つかない/涙のパラダイス
1994年 今夜はネヴァーストップ/ダイヤモンドは傷つかない(Cool Mix)
ゴルビーズ(GOLBIES)
1990年 JUST LIKE MAGIC/JUST LIKE MAGIC (オリジナル・オーディション・ミックス)
1990年 天使のささやき/天使のささやき 〜Original Audition Mix
原宿ジェンヌ
1990年 純愛 90's/お熱いのはお好き?
1991年 千夜一夜/そっと…
1991年 黄・昏・蝶・々/褐色泥棒 Fall in love
川村知砂(ソロ・シングル)
1990年 誓い/バッド・ディザイアー
1994年 GET ON IT/きっと愛はLady First
1994年 DANCE FOR YOUR FUTURE/想い出の中へ
1996年 夜空に響け!/DAMAGE CONTROL/夜空に響け!(Backing TracK)(川村知砂+Les,TPD)
1996年 氷の世界/DO IT!!/氷の世界(Backing Track)
川村知砂(ソロ・アルバム)
1993年 CHISA from Tokyo Performance Doll
1997年 WANNA DANCE ?
Les,TPD
1995年 気持ちはING/check my heart -空が壊れないように-
1996年 夜空に響け!(川村知砂 + Les,TPD)/DAMAGE CONTROL
HITORI TPD
新井雅
ひとり東京パフォーマンスドール
中川雅子(なかがわまさこ)
ひとりTPD
鈴木明子(Acco)
ひとりTPD
荘埜理恵(そうのりえ)
ひとりTPD
石井智子
ひとりTPD
徳永愛
ひとりTPD
大藤 史