
HITORI TPD WEBマガジンvol.1『まちゃことTPDとワタシ』
HITORI TPD
新井雅
「TPDと私」をテーマにお話させていただくなんて歴史が長すぎて短くまとめられないな…と悩んでいたら文字数制限なしでよいと!
とても個人的見解が多めの長ーい自己紹介のようなものになりますが、こんな機会もめったにないと思うのでここに書き留めさせていただきたいと思います。
「東京パフォーマンスドールのライブは私の生きがい!一生TPDで踊っていたい!」そんな気持ちを確信したのは後に初代TPDの最後となった公演の直前。
私はオタク気質で幼少期からアイドルが大好きでした。そんなファンの感覚を持っていたからか、とある華やかさとアイドル性を持った先輩がTPDを辞めると聞いてすぐに止めに行きました。その方が抜けることで彩りあるTPDから赤やピンクがなくなってしまいそうでどうしても嫌でした。
でも先輩はこう言ってくれました。
「私たちがいなくなったら愛ちゃん達が上にあがれるんだよ?」
…え?頭が真っ白になりました。
いつかマイクを持って歌いたい!そんなことを思ったことがなかったからとてもびっくりしました。先輩方が前で歌っていて、バックで踊れている今が幸せでたまらなかったから。
そうか、ここは歌手になりたい人が集まっていてTPDというのは新人アーティスト育成の場所だったんだ。。。
テレビでパードルに出会って「この振り付けを踊りたい!」という衝動にかられて学校から帰っては振り付けを練習し、ライブビデオをかき集め中村先生の演出するショーにどっぷりはまった私は歌手になりたかったわけじゃない。というより、幼少期から体が弱く気管も声もか細い、歌もド下手な私が歌手になれるわけがないといつからか諦めていたし、何よりもパフォーマンスドールのライブに出たかった。
だから他のメンバーさんとは感覚がズレているのかもしれない。そう思うとそれ以上「辞めないでください」とは言えませんでした。
結局その先輩と同時に、先輩方、中村先生、主要スタッフさんがこぞって卒業されてしまい、私達は新生TPDとなり、フロントメンバーとしてマイクを持って歌わせてもらうようになりました。がんばらなきゃ!と思ったけど何か違う、居心地の悪さを感じていました。
それほどに中村先生のつくる創造性と人間性に溢れた彩りあるステージがワクワクして大好きだったし、先生の振り付けは、楽曲の世界観を感じながらその中で人間らしく生きられる。カン!という音があればカン!という感じの振り付けがあり、私にとってはとても面白くてやりがいのあるものだったのですが、新生TPDではその頃流行りだしたヒップホップを踊るようになり、(個人的な意見ですが)こんなピュアな雰囲気の女の子達にストリートダンスをやらせて何がいいんだろうと全く共感できず、なんとか以前のようなエンタメライブを新メンバーで作りあげていけないものか悩んでいました。
そんな矢先にスタッフさんからの言葉。
「この先ライブはやりません。君たちをそれぞれアーティストとして育てていきます。」
…え?そんなこと望んでませんけど。
ライブをしないTPDなんてTPDなんですか?
…いや、TPDはそもそも新人育成機関。それが普通なのかもしれない。
そこで意志が固まりました。『失くなってしまったなら復活させる!ファンの皆さん待ってて!』脱退を決め、ライブ活動ができる事務所でソロ活動を始めました。
当時は今のようにグループアイドルの流行もなく1人でやる方法しかなかったから、穴井さんや東さん、元同期メンバーに自分のライブに出演してもらったり、デビュー曲の振り付けを中村先生のお弟子さん先生につけていただいたり、TPDに執着してあがいていました。
持っていたカラオケをこっそり使って、ライブで1人でTPDの再現をしてみたりもしたけど、私が飛び込んだのはアイドルの世界。お客さんはぽかーーん。
そこにはかつて一緒に熱く盛り上がったTPDファンの方の姿はほとんどなく、1人でガシガシ踊るようなアイドルは求められていないのを肌で感じて途方にくれたのを覚えています。
ならば「TPDのようにバラエティにとんでいて遊園地に来たようなドキドキワクワクするライブをお客さんと共有できるライブパフォーマーになる!」
その一心で約10数年、ソロ活動に力を注いで、徳永愛を応援してくれたたくさんの方たちとの出会いが大切な大切な宝ものになりました。
でも、私がやりたかったTPDのようなエンタメライブはどうしても1人では表現しきれず力不足を感じながら、楽しんでもらえるステージが出来ているのかいつも不安と闘っていました。
そうして30歳にもなると、これ以上大きく自分の夢に届くことはないだろうと察するようになり、細く生き続けるより叶わないならきっぱり辞めようと、音楽活動を終了しました。
ぶつける場所をなくした情熱を胸に閉じ込めたまましばらく普通の暮らしを送っていると、
なにやら中村先生とTPDの音楽を手掛けていた方が、25歳以上の女性限定で「CHANCE」という大人のアイドルのようなものをプロデュースしていると知りました。
それはもう「一生TPDで踊っていたい!」私のもとにわざわざ神様が仕掛けてくれたチャンスとしか思えず、絶対やる!と、大人しくしていた情熱がドアを開けて飛び出しました。
でも待って。やりたくても受け入れてもらえるかわからない。まず偵察をしに公演を観に行きました。
「大人」「セクシー」というワードは私が最も苦手とする分野だったけど、「コミカル」分野もあったし、楽曲や振り付けにはやっぱりワクワクするし、そこには創造性と人間性あふれる大好きな中村先生ワールドがしっかりとありました。
だけど、歌も踊りもお芝居までも当たり前のように上手にできるメンバーさん達のステージを観て自分が参加できる気がせず、一度目は踏み止まりました。
その後、元TPDの中川雅子ちゃんが入ったと知り、またワクワクしてしまってもう一度観に行きました。やっぱりオタク笑
TPDにはまちゃこちゃんとは入れ替わりで入ったので面識がなかったのですが、当時はショートカットでコロンとした元気な女の子のイメージだったのに別人!?のように華奢でロングヘアの似合う美人さんになっていて、新人メンバーだったからかほとんど見せ場のない扱いに私のオタク心がザワザワしました。
どうしてあんなビジュアルの良い子が後ろで埋もれてるんだ。もっと良さを活かしてあげたらいいのに。もっとこうすれば!といらぬおせっかい心が芽生え、その勢いなのかなんだかふと、まちゃこちゃんと私が組めばCHANCEにきっと何かキラリとした新しいものが生まれる!
そう確信がありました。
どの立場でものを言ってるんだと怒られるかもしれませんが、その確信は間違ってはいなかったと思います。
元TPDの新人で「大人」「セクシー」に不向き?な私達はCHANCEの妹分、チャンス的アイドル「チャンドル」として公演をさせてもらえるようになりました。
そこからまた私の勘がピンピン!と。
これはいける!チャンドルならTPDの曲をやらせてもらえるかもしれない。いや、やる。掴みに行く!
その願いは本当に叶いました。
〝まちゃこちゃんと私が組めば…〟その通りで、TPDの初期から全盛期まで活躍したまちゃこちゃんの存在は大きな説得力があり、私の「これを叶える!」と思ったら突き進む図々しさがあったから中村先生に直談判することができました。
何よりも「東京パフォーマンスドールが大好きで中村先生のもとでまだまだTPDをやりたい。」気持ちが2人には熱く通っていたのが先生やスタッフさんに届いたのだと思います。
そんなまちゃこちゃんとは、日々の生活環境も性格も全く違うけど、同じ方向を目指す同志。
CHANCEに入って最初に話した時、同じ事を考えて中村先生のもとに戻って来た人がここにもいた!ことがものすごく嬉しかったし、先輩に対してタメ口をきけるような私では決してなかったけど、まちゃこちゃんとは同い年だし特別に仲良くなりたくて敬語は使わない!と決めていた。
そうして名前も「チャンドール」になり念願のTPD楽曲をできるようになりました。
時には振り付けのアップデートがされたり、私達用に新しく振り付けてくださったり、30代をすぎて夢を叶えられるなんて、いつまでも諦めちゃいけないなと思いました。
「さぁ、これからもっとCHANCEを盛り上げて行く!」そう思った矢先にチャードールのメンバーが減り、私とまちゃこちゃんの2人になってしまいました。
私はTPDができるなら何でもいいわけじゃなかった。
大好きなTPDだからこそ、ファンとしても観て聴いて嬉しいTPDのかたちをお客様に届けるべきだし、私が1人でやるのは難しいと思い続けてきたTPDのエンタメライブは、2人でも厳しいと思いました。お見せできるキャラクターも2人から出せるものしかない、衣装も替えられない。わかりやすくTPDらしさを表現することが出来ず、私は公演を続けることが辛くなっていきました。
でも、隣ではまちゃこちゃんがとてもキラキラ楽しそうにTPDを歌っている。
私もがんばってパフォーマンスをしているつもりだけど誰も私なんて見ていない、求められていない、まちゃこちゃんだけでも成り立っている。
そう感じるようになり、ステージに立つことができなくなりました。
完璧を求めすぎて自分で自分を壊してしまい、私にとってたったひとつの夢に、
やっぱり届ききらなかった。完全に負けた。
二度とステージには立てない。自信もない。恐い。
今思えばちゃんと病気だったんだなって思います。笑
そうなってしまった私が約10年後、ライブに参加するきっかけになったのは、
CHANCEが解散してからも時々まちゃこちゃんがTPD楽曲でライブをしていた「ひとりTPD」のライブに知砂さんが出演した。という大事件を知った事でした。
川村知砂さんといえばTPDのカリスマ的存在。活動終了から復帰することがなかった知砂さんがTPDを歌うなんて、ファンにとっては夢か幻か!の出来事。
そしてTPDライブの最大の盛り上がり場面には欠かせなかった知砂さんの定番曲「BAD DESIRE」を歌っている動画を拝見した時、
バックにはまちゃこちゃんともう1人女の子が踊っていました。その方はしっかり踊れているんだけど、TPDオタクの私にはどこか気持ちが乗りきれない違和感がありました。
TPDのバックダンスはダンサーではなくて全員TPDのメンバー。そこで育った血統のようなものがあると、私は感じていました。
後に〝ひとりTPD〟に参加し、サポートメンバーは多い方がいいと増員をゴリ押しさせてもらった私がこだわったのは元TPDであること。
ダンスの不得手や個性のバラつきはあっても
TPDにエネルギーを注いできた人からでる空気感はまた魅力的なTPDを創ると感じているからです。
話は逸れましたが、そんなふうに感じた私は、
知砂さんがBAD〜を歌うのにバックダンスがいないのはもったいない!せっかくならまちゃこちゃんと知砂さん、そして大藤史さんも参加されているのなら私がバックダンスをやるから御三方が柱になってTPDをやってほしい。
強く思いました。
…やっぱりおせっかいオタク。笑
まちゃこちゃんのひとりTPDは、全て1人でTPDを歌うというところにアイドル中川雅子ちゃんの世界観が確立されていました。
それがひとりでなくなった時、ひとりTPDの魅力とは別に、TPDの復活を夢見させてくれました。そのためなら何でも協力させて!?久しぶりに「叶える!」と決めたら掴みに行く図々し愛ちゃんが出てきました。
表舞台から引き下がっていた私はすでに地味デブのおばさんになっていたし、全盛期を過ぎてTPDに入った私を知ってくれているお客さんも少ないだろうから私が参加するメリットは少ないかもしれない、ならば一緒にダンスを担当してもらうのはあの人しかいない!
知砂さんのことが大好きだった雅ちゃんはきっと引き受けてくれると思いました。ニシシ笑
そうして、ひとりTPDプロデュースで〝東京パフォーマンスドール〟が復活していきました。
最初は、まちゃこちゃん、知砂さん、史さんありきのライブだから私達はバックダンスメインで
御三方の衣装替えの時間に歌を歌わせてもらうような、サポートメンバーとして参加できればいいなと思っていました。
そんなサポーターは多い方がいいと、連絡の取れる元メンバーを誘って今の8人体制になりました。
私は大事なものに対してはこんなに気持ちが暑苦しいし、私のようにすぐ行動をする人をあまり見かけません。みんなは静かに考えてまわりの状況をゆっくり見ながらタイミングをはかってものを言う手法?なのでしょうか?
私は熱くなると空気を読みません。笑
なので良かれと思ってもちろん相談はしながらのゴリ押しをしてきたけど、実際にまちゃこちゃんがその変化、進化を喜んでくれているかの不安はいまだにあります。
だけど、これまでのゴリ押しを成功に持っていってくれたのは新メンバーのスキルやポテンシャルの高さも大きいですが、まちゃこちゃんがしっかり包んで引き連れてくれたからだと思います。
きっと、経験や価値観の違いもけっこうあると思うので、慎重派のまちゃこちゃんと、思い込んだら突き進め!情熱派の私はライブのあり方について本音で話し合えばぶつかることもきっとあると思います。
だからか、大好きなのにいざ2人きりになると私は、
〝え?思春期の息子ですか?〟とも言えるような照れくささから、ぎこちない対応をしてしまったりすることもあります。変な距離感。笑
「ひとりTPD」はまちゃこちゃんのもの。
同じ方向を目指して歩んでいる同志。
今はまちゃこちゃんのつくるライブに安心して飛び込ませてもらっていますし、
〝まちゃこちゃんと私が組めば…〟の気持ちもあの時と一緒。
私はまちゃこちゃんの側近でいる。
そう決めています。
そして、誘われたからとはいえ、他のメンバーさんもきっとTPDが好きだからここにいる。
有志が集まった東京パフォーマンスドールのリバイバル公演。
夢が叶っている今を大切にしたいし、
一回一回を思いきり楽しみたい。
それをメンバーとファンの方々と一緒に経験できる幸せを今度こそは自分から手放すことだけはしたくない。
なんなら、長い年月をかけて一緒に同じ夢を目指してきたまちゃこちゃんと、もっと素直に接して仲良くなれたらうれしい。笑
目の前にある夢は叶える!の一択!
生涯現役。一緒に笑っていられますように。
Profile
徳永愛
1994年9月、東京パフォーマンスドール第5期研修生として加入。
その後「新生TPD」フロントメンバーに昇格し、
ライブ、テレビ出演などの活動をし、脱退。
ソロ活動をスタートさせ、
1999年3月にCDデビューを果たす。
数々のライブ活動やCDリリース、テレビ出演、
声優活動を経て、
中村龍史プロデュース「CHANCE」に加入。
派生ユニット「CHANDOLL」として活動後、事実上引退。
2023年8月からひとりTPDライブに参加するようになり、
徳永愛としてのソロ活動もゆるく再開している。
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