収集するということ 02
プロデューサー
BJ
収集するということ
いま収集するということ
それは断捨離と真逆に突っ走るということ
部屋がたいへん散らかるということ
ふっと部屋ごと爆破したくなるということ
収集するということ
いま収集するということ
それはタイトスカート
それは東京タワー
それはマリリン・モンロー
それは松田優作
それは6と60と66
すべての収集するものを
収集するということ
収集するということ
いま収集するということ
スクラップするということ
写真を撮るということ
オークションするということ
お金がなくなるということ
テンバイヤーがムカツクということ
不自由ということ
自由ということ
生きているということ
収集するということ
いま収集するということ
収集ということ
BJ(ナイスガイな収集家)
※以下、20年前に「収集するということ」について書いたものです。
「気絶するほど悩ましく」なく、相当フランク永井なので、
ご興味のある方だけ、お読みいただけますと、とてもうれしいです。
「収集するということ。」
横浜にあった僕の実家では、
新聞とスポーツ新聞の2種類を配達してもらっていた。
1989年11月7日早朝。母親は、21歳無職の僕をたたき起こした。
この日に限っては息子のダラしない生活を一喝するためではなかった。
寝ぼけた僕の目の前に母はスポーツ新聞を差し出した。
「松田優作逝去」
嘘だろ。夢だろ。わけがわからない。身体が震えた。
寒気がしたのも覚えている。
飛び起きてまず洋服に着替えた。
何かちゃんとしなければいけないと思ったのだろう。
それにしても信じられない。
TVをつけた。
どのチャンネルもそれを報じている。
それでも信じられない。
たまらず外へ出た。
駅まで走ってこの目で確かめたかったからだ。
自分の家だけに、嘘の新聞が届き、
デタラメなTVが流れているのだと信じたかった。
通勤・通学の人波に逆らって辿り着いた売店。
そこに並べられている新聞。
一面の見出しはどれも家にあったそれと同じだった・・・・・・
信じたくなかったけど。
あの日から、
松田優作という存在が僕の頭の中から片時も離れたことはない。
きっと日本中の男たちがそう思っていただろう。
そして、
あの時の売店で無意識のうちに買い求めていたすべての新聞を
捨てられずにファイルをしたあの夜。
僕の中で「収集するということ。」がはじまったのです。
糸の切れた凧のように、どうかと思うくらい収集することに集中した。
友だちは僕のことをバカと言った。
親はそんなことじゃなく他にすることがあるだろうと言った。
彼女は気持ち悪いから別れてくださいと言った。
仰るとおり、僕もそう思った。でも、無理だった。
生まれてはじめて、考えるより先に身体が動いている自分を感じたからだ。
横浜と呼ぶには図々しい、横浜のはずれで育った僕は、
東京と呼ぶにはピンとこない池袋で暮らしはじめることにした。
アルバイトの時間以外は、すべて収集するためだけに費やした。
映画のポスターにパンフレット、チラシに半券。雑誌等々。
誰に申告するわけでもなくどんなものであっても、
保存用・観賞用・切り抜き用として3つ入手することを心に決めた。
あらゆる古本街を靴底が減るくらい歩きまくった。刑事みたいに。
休日は地方の映画館にも足を運び、
ポスターなどを貰えないですかと聞いてまわった。
なかでも非売品であるCM関連のポスターや看板のようなグッズは
幼い頃からデパートで売っている人形より、
薬局に置いてある非売品の人形を欲しがっていた僕にとって、
とても思いが深い分、気合を入れて動いた。
思えば中学生の頃、
近所のスーパーのおもちゃ売り場に向かうために
家電コーナーの前を通過したその時。
僕の目の前飛び込んできた「ビクター√2」というステレオ広告の
「松田優作等身大パネル」。
その日から通うこと数カ月。
結局その看板はもらえませんでしたが、
その頃から、お店に通い詰める・店主と顔馴染みになる・頃合いを見て頼み込んで入手する。
という時間をかけて手に入れる喜びを覚えていたのかもしれません。
時は流れに流れて、
現在はインターネットで非売品だろうが
大概のものは簡単に手に入ってしまう時代。
僕はどこかで、そんな喜びも哀しみも味気もない方法で
入手するのは如何なものかと思っていた。
しかし、
そんな理由で拒絶するのも大人気ないと思い、ふと検察してみた夜。
信じられないものを目にしたのです。
あれだけ通い詰めても貰うことのできなかったあの
「ビクター√2・松田優作等身大パネル」
がオークションに出品されていたのです。
当時と入手方法の違いはたったひとつ。足を使わず、指とお金を使うだけ。
ためらうところか勝手に指先が動いていた。
簡単に落札できた。
哀しみより、喜びの方が勝っていた。
これが大人か。
コンピューターなんてなかったあの頃。
学校が終わると家電コーナーに毎日通って
「要らなくなったらこれくれませんか」
とお願いしていた13歳の僕。
まさか大人になっていとも簡単に手に入れることができるなんて考えもしなかった。
一度利用したら最後。
もうインターネットの悪口は言うまいと心に誓った1999年の深夜から25年が経つ。
まったく、サボってばかりの人生だから時の経つのも早い。
現在も僕の収集生活は続いている。3つ入手もほぼ守っている。
でも、足を使わなくなった分、哀しいくらい腹が出てきた。
優作さんがいたらきっと殴られるだろう。
いや、殴る価値もない生活をしているからなぁ。
それ以前に、こんな腹じゃ出会うこともできないだろう。
がんばらないといけない。
見よ。この迫力!
目が合うので未だ部屋に飾らないでいる。一人前になったら飾りたいが、どうやら一人前にならずに死んでしまいそうだ。
(正確に測定したら等身大より若干小さいことに気づいて軽くションボリしちゃってw)
収集ファイルとその仲間たち(ごく一部です)。
※『モノクル』2004年夏号(日経BP出版)より、加筆・修正等のうえ掲載
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