「壊れたスーツケース」

バレエダンサー

井福俊太郎

ツアー初日、スーツケースが壊れた。
その日、東京バレエ団は第34 次海外公演の為にポーランドに到着。
僕はその70 人近くいるダンサーのひとり。 約1 ヶ月間のツアーに胸を躍らせていた。
傍にあるスーツケースは、18 歳で初めて海外のバレエ学校へ留学する時に、奮発して買ったリモワ。色々な国へ行っては、可愛いステッカーや、その国のステッカーを集めて貼り付ける。時間と共にステッカーが増え、自分の経験値を表しているように見えた。

イタリア、ネルヴィでの野外公演。
身体のコンディションもメンタル面も最高の状態だと感じていた。
バックに海と広い空の下で、僕はソロを踊った。遠くの山に見える家の灯りが綺麗で、星空の様に見えた。



パーカッションの生演奏の中、ジャンプの着地で膝の中が一回転したくらいの衝撃を受けた。
ソロが終わって1 度幕に入ると膝は緩く、今まで体験した事が無い感覚。
まだ後半もフィナーレも残っている。不安は無かった。踊り切れる自信があった。
フィナーレが終わっても、鳴り続く拍手とアンコールに全てを賭けた。



舞台から降りて、膝の違和感よりも、踊り切れたことの達成感が上まわる。
ミスを省みる時間の中で数日すれば膝も治るだろうと考えながら、狭いバスに揺られホテルへ戻った。
次の日の朝、アドレナリンの切れた身体は、想像以上の痛みと共に膝は90 度以上曲がらなくなった。
病院で診てもらい、予定していた公演のソロはすべて降板となる。
ひとりではスーツケースも運べなくなった。

帰国後、日本の病院での診断は、十字靭帯断裂、半月板損傷。もう、踊れないと思った。
だけど、踊ることを諦めきれなかった。再建手術を経て、翌年には復帰し踊っている自分がいた。次に怪我をしたら、二度と踊れないと思う。そしてまた、諦められないのだろう。

壊れたスーツケースは、今は物入れとして部屋に置いてある。なんとなく捨てられないでいるのは思い出を感じるからなのか。
ステッカーは剥がれることなく、そこにいる。

Profile

井福俊太郎

8 歳よりバレエをはじめる。東京バレエ学校を2012 年に卒業後、同年9 月より2 年間リスボンの国立コンセルヴァトワールに留学。卒業後はイタリアのカンパーニャ・バレット・クラシコに入団。2015 年まで古典作品から創作バレエまで幅広いレパートリーを踊る。これまでに出演した劇場はパレルモ・マッシモ劇場、ミラノのテアトロ・ヌオーヴォ、モデナのテアトロ・ミケランジェロ、メッシーナのテアトロ・メトロポリタンなど。 2015 年8 月東京バレエ団入団。現在ソリスト。MBS/TBS 系列アニメ『ダンス・ダンス・ダンスール』村尾潤平役としても知られる。

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